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研究

社研セミナー

えひめ丸事件を巡る「文化的な違い」の構築
デイビッド・レーニー (プリンストン大学教授/社会科学研究所客員教授)

日時:2011年 6月14日 15時-17時
場所:センター会議室(赤門総合研究棟5F)

報告要旨

 2001年2月10日に起きた「えひめ丸事件」は当時の代表的な日米同盟の危機だった。米海軍の原子力潜水艦がVIPとして乗客させた16人の民間人に海軍体験をさせるために、水中から早く浮上させ、練習船と衝突し、9人(4人は男子高校生)が死亡した。事件の後、既に低迷していた森嘉朗政権の支持率は更に下降し、4月には退陣に至った。米海軍は、水深600mからの船体引き上げという前例のないオペレーションを行った後、遺体捜索の結果、えひめ丸の乗員で死亡した9人中8人の遺体を収容した。米国メディアやいくつかの日本メディアでは当初、えひめ丸事件は、同盟危機の代表例的に取り扱われることが多かった。しかし、事故件から数ヶ月後に起こった9.11.アメリカ同時テロ事件のあとは、日米軍事的協力の影で様子は変わり、えひめ丸事件は日米同盟の危機管理の代表例として扱われるようになった。ここで強調されたことは、「文化的な違い」を克服することが日米同盟の「危機管理」を成功させるカギであるという言説だった。つまり、人間関係が「ドライ」なアメリカが人間関係が「ウエット」な日本を「理解した」ことで、アメリカはえひめ丸の引き揚げを決定し、結果として日米の「総合理解」を証明したことで、同盟をマネージできた、という。

 しかし、本研究は、この「文化的な違い」とは、危機に先行したことではなく、危機の結果として構築されたという視点を示唆することで、同盟マネージメントを再検討する。


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