新刊著者訪問 第20回

『<高卒当然社会>の戦後史
 ―誰でも高校に通える社会は維持できるのか』
著者:香川めい・児玉英靖・相澤真一
新曜社 2014年:2300円(税別)

このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。

第20回となる今回は、教育社会学を専門分野とする香川めい特任助教の共著『<高卒当然社会>の戦後史―誰でも高校に通える社会は維持できるのか』(新曜社, 2014年7月)をご紹介します。

<高卒当然社会>の戦後史―誰でも高校に通える社会は維持できるのか
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関連書籍
Estelle, James and Gail Benjamin, 1988, "Public Policy and Private Education in Japan" St.Martin's Press
門脇厚司・飯田浩之編,1992,『高等学校の社会史――新制学校の<予期せぬ帰結>』東信堂
小川洋,2000,『なぜ公立高校はダメになったのか――教育崩壊の真実』亜紀書房
相澤真一(あいざわしんいち)
中京大学現代社会学部准教授
元東京大学 社会科学研究所 研究支援推進員

児玉英靖(こだまひでやす)
洛星中学・高等学校教諭
立命館大学、関西学院大学非常勤講師

――本書は「戦後教育の「常識」の見直しに迫る労作」と帯の苅谷剛彦氏のメッセージにありますが、まずは概要について教えてください。

 高校に行くのが当たり前の社会がどのように成立したのかを、誰が高校教育の機会を供給したのかという点から明らかにした本です。日本のどこに育ったとしても高校に進学することは現在では当然のこととみなされていますが、そのためには多くの人が高校に行こうと考えて、行動すると同時に、そのような人々の要求を受け入れる教育機会が必要になります。この教育機会がどのような形で提供されているのかは、地域によって大きく違っています。機会の担い手としての公立高校と私立高校に注目して、量的なデータを分析して都道府県の高校教育の提供構造を類型化し、それぞれの類型ごとに特徴的な府県をピックアップして、質的なデータからより詳細な検討を加えています。

――共著というより3人による共同執筆とのこと、高卒学歴というテーマに着眼されたのは10年前(2004年)に遡るそうですが、3人で10年というのはすごいですね。刊行まで紆余曲折があったと思いますが、1番の山場はどのあたりでしたか?

 あとがきにもありますが、この研究の発端は「高卒ってどんな意味を持っているんだろう」という素朴な疑問にありました。それぞれメインの関心は違っていたものの、「高卒って何」という点では疑問が一致した相澤と私で研究を始めました。幸運にも2005年に実施された「社会階層と社会移動」という大規模調査に二人ともメンバーとして参加することができ、量的データを用いた研究を行っていました。教育機会の提供主体に注目するようになったのは、児玉が参加してからです。その意味では、この本にとって大きなターニングポイントは児玉が参加したことです。その後、2010年に科研費に採択されたこともあり、実際にいろいろな都道府県に足を運ぶことができるようになりました。三人で手分けして、特徴的な自治体に赴き、図書館等で地域の教育政策の資料や議会議事録などを収集しました。これが山場なのかどうかは分かりませんが、それぞれが実際に足を運ぶことによって、自分たちの「高校経験」を相対化し、それぞれの自治体の持つ高校のリアリティに少しでも近づけたのではないかと思っています。

――なるほど、実際に多くの都道府県に足を運んだことで、本書のテーマが明確になったんですね。

 はい、高校に行こうとする人たちの話でも教育の内容でもなく、教育の機会にこだわって戦後日本の高校教育拡大の過程を描こうとしました。私立高校の役割に注目するようになったのは、児玉の貢献が大きいのですが、加えて、格差に関する議論の中での私立の位置づけに対する違和感もありました。「高い教育達成をするためには、学費の高い私立に進学しなければならないので、格差が拡大する」といったストーリーは、確かに都会ではあてはまるかもしれないけれど、地方ではあてはまらない。都会では私立優位、地方では公立優位だ、ということは漠然としたイメージとしては共有されているかもしれないのですが、実際に教育に関して議論すると、地域差が捨象されて、おそらく自分の高校経験をもとにした高校教育イメージで高校を語ってしまっているのではないかと思ったのです。教育の機会の担い手としての私立高校に注目し、地域によって異なる高校教育のあり方や、卓越化の担い手としてではない私立高校の姿を描けているのではないかと思います。

共著者との写真

左から児玉英靖・香川めい・相澤真一
児玉が吐き出す大風呂敷とも思えるアイデアを、相澤が理論武装させて実証する方法を
紡ぎ出し、香川がそれをばっさりと整理しました!

――戦後日本社会において、高校とは、「行くと得をするところ」から始まり、「行かないと損するところ」となり、さらに「誰でも行くところ」、とうとう「タダで行かせてもらえるところ」となった、ありますが、次は「どういうところ」になると思いますか?

 次はどういうところ・・・、なかなか難しい質問ですね。いろんな可能性がありますが、「タダで行かせてもらえる」に近い状態は続くでしょうね。「行かせてもらえる」から「タダで行って当然」になるかどうかは、適格者主義と全入主義の間を揺れ動く振り子がどう動くかによると思います。「タダで行って当然」の社会はなかなか到来しそうにないのですが。

――・・・そう思われるのはどうしてですか?

 この本では、教育機会の量を問題としてとらえています。それは量的拡大をした時代をメインに扱ったためなのですが、教育機会を考える上ではもう一つ教育の質の問題があります。質が良いとか質が悪いとかいう優劣の問題ではなくて、多様な教育ニーズに応えるといった意味の質です。
 高校の今後ということを考える上では、質の多様性をどうやって担保していくかということが一つの論点になると思います。少子化に伴って、全国的に見れば高校生の数はピーク時の6割にまで減少しています。拡大期にはまずは量的な機会を増やしていくことが必要だったわけですが、縮小期には量的な問題に対応することに加えて、質の多様性を確保することも重要な課題となってきます。
 生徒縮小期にどのように高校が減っていくのかを少し調べてみると、そこにも都道府県による違いがあることが分かりました。生徒数の減少に比例して、公立高校数が統廃合で減少するわけでは必ずしもないようなのです。おそらく、この背後にはそれぞれの地域の人々が持っている高校教育への思い入れとか、もしくはイメージのようなものも関係しているのではないかと思います。このような量の問題に加えて教育の質の多様性の問題も射程に入れながら、縮小期の高校教育機会の変容を描き出そうと研究を進めています。

――次の課題が見えてきましたね。ところで、学術書ながらところどころにコラムが配置されていて興味深いですが、東京についてはコラムという形で触れるにとどまっていますね?

 ありがとうございます。コラムの多くは、専属コラムニスト(笑)の児玉が執筆しました。
 私立高校が増えるところとそうでないところがあって、何がそれを規定しているのかをブレーンストーミングしていく中で出てきた要素がありました。このような点は断片的に出てきて、必ずしも本論で回収できていないので、そのような論点についても示したいと思い、コラムとして入れています。「お茶請け」として楽しんでいただければ、幸いです。
 東京がコラムに入っているのは、東京が外れ値だからです。それなのに東京を基準に全国のことが語られることが多く、これに違和感を感じたこともあり、あえて東京は本文から外しました。

――なるほど。では最後に読者へのメッセージをお願いします。

 この本をどういった興味で手にとってくださるのかさまざまだと思いますが、ご自身の高校経験と照らし合わせて、「あるある」と思ったり、「違うな」と思ったりしていただければと思います。そういう楽しみ方もできるように書いたつもりです。その上で、今後の高校教育の進む方向に少しでも関心を持ってくださればと思います。

(2015年2月19日掲載)


香川さん

香川めい(かがわめい)

東京大学社会科学研究所特任助教

専門分野:教育社会学

[主要業績]
・「「自己分析」を分析する――就職情報誌に見るその変容過程」苅谷剛彦・本田由紀編著『大卒就職の社会学』東京大学出版会 2010年
・「日本型就職システムの変容と初期キャリア――「包摂」から「選抜」へ?」石田浩・近藤博之・中尾啓子編『現代の階層社会2 階層と移動の構造』東京大学出版会 2011年
・「職業への移行の脱標準化はいかにおこっているのか」小杉礼子・原ひろみ編著『非正規雇用のキャリア形成――職業能力評価社会をめざして』勁草書房 2011年

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