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社研卒業生の現在(いま)

土屋 ともよ さん

現在、「古文書研究」に熱心に取り組まれている土屋ともよさんに、社研在籍当時や最近のご様子についてお話を伺いました。

土屋ともよさん

写真:福島県福島市花見山公園にて(2013年4月)

プロフィール

土屋 ともよ(つちや ともよ)

社研在職期間:2006年7月~2009年3月

図書チームサブリーダー(資料雑誌担当)

 社会科学研究所には、昨年亡くなられた西田美昭先生が1987年に設立された「東大手話研究会」がありました。この研究会が開かれていた社研に、私は長期間会員として通っていましたので、社研図書室への異動辞令をもらった2006年は、「当たりくじ」を引き当てたような嬉しさでいっぱいでした。定年退職前の3年間弱でしたが、研究分野を複数の視点から考察なさる先生方が職員にも気軽に話し掛けて下さるすばらしい環境で過ごせました。職員自己啓発制度を利用して中国語研修にも参加できました。

 退職後は2010年に区報で見つけた古文書講座初級編・中級編を計8回受講後、修了生有志で構成する「古文書勉強会」に加わり、今年で3年目になります。既にマイクロフィルム化された区史が判るものを教材にし、現在は、江戸時代の村名主文書の影印版を解読中です。くずし字を読み下し、月1回の勉強会で先輩方の読み下し文と突き合わせます。区の講習会修了生で構成している会なので「翻刻」したものを簡易製本して、成果を区に還元しています。

 江戸時代は元号も年の途中で変わったり、遡って変わったりすることがあるので、元号年より干支での表記を重視していた、と先輩方から教わりました。

 村名主からの文書差出先に『寺社御奉行所様 御掛リ○○様』という表記がありました。この表記は明治になっても引き継がれ『市井掛』や、『郷村掛』という文字が今、読み下している古文書の中にあります。以前、東大事務部には「○○掛」という名称がありましたが、この行政分担の表記を使っていたのかもしれないと思いました。

 村人の住居が、安政二年の(江戸)地震で潰れたので仮住居を潰れた木材、古萱を再利用して作りたい、と村名主から『御役所』へ願い出ている記載がありました。

 慶応二年の全国的な凶作、それに伴う物価高騰の際には近隣の十四ヶ所の村役人一同で、『御役所』に嘆願した結果『扶持米が拝借でき、返すのは三年分割で良いと仰せ付けられ、有り難き仕合せ、小作人に割り渡す』という旨の請証文もありました。

 くずし字を読むだけでなく、伝えようとしている内容も理解するために、複数の史料と比べ、関連文献を読む等、歴史を調べることが大変でもあり、楽しみでもあります。

 ちなみに「東大手話研究会」は会員が減少したこともあり、西田先生にもご相談した結果、2012年2月にバリアフリー支援室主催の「手話でしゃべランチ」に加わることになりました。ここには学生サークル「手話っち」も参加するなど新たな展開となりました。最後になりましたが、働き甲斐のある職場で過ごせましたことに感謝いたします。「東大手話研究会」が25年間も継続できたのも関係の皆様方のお力添えのお陰で、重ねてお礼申し上げます。社研の皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げる次第です。

古文書研究とはさすが元ライブラリアンですね。「東大手話研究会」についてもお話頂き、今日はありがとうございました。これからも健康にお気をつけてお過ごしください。

(2013年6月20日掲載)

最近、嬉しかったことは何ですか?
花見山1 花見山2 4月、福島県花見山に行きました。「NPO花見山を守る会」の復興支援桜植樹にも加わりました。福島県浜通り地区から避難してきた人や、花見山地区の人と、立ち話でしたが一人ずつお話することができました。

写真:福島県福島市花見山公園にて(2013年4月)
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