外部評価報告書

教授任用後の実績評価
小森田 秋夫 教授

1.経歴

1946年9月24日 出生
1970年3月 東京大学法学部第3類卒業
1970年4月 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程入学
1976年3月 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了
1976年4月 立教大学法学部助手
1978年4月 北海道大学法学部助教授
1980年10月~81年9月 日本学術振興会特定国派遣研究者
(ソ連・ポーランド・ハンガリー・ユーゴスラビア)
1985年4月 同教授
1988年4月 東京大学社会科学研究所助教授
1993年4月 同教授
1994年9月~95年8月 日本学術振興会特定国派遣研究者
(ポーランド・ハンガリー・チェコ・ベルギー・ロシア)

2. 専門分野

社会科学研究所における担当分野: 比較現代法大部門 社会主義法分野
専門分野: ロシア法・東欧法

3. 教授任用後の研究テーマ

  1. ロシアとポーランドにおけるポスト社会主義の法システムの比較研究
  2. ポーランドにおける所有・労働・生活保障システムの法的研究
  3. ポーランドにおける「民主的法治国家」の形成過程の研究、とくに違憲審査制の研究
  4. ロシアとポーランドにおける司法改革の研究
  5. ロシアとポーランドの<リージョン>における法・政治空間の再編過程の研究

4. 教授任用後の主要業績

  1. 「ソ連__まぼろしの『社会主義的法治国家』」近藤邦康・和田春樹編『ペレストロイカと改革・開放__中ソ比較分析』東京大学出版会、1993年、212~245頁
  2. 「労働組合」木戸蓊・皆川修吾編 『講座スラブの世界・ スラブの政治』弘文堂、1994年、224~248頁 
  3. 「検閲にたいする法的統制の試み__ポーランド検閲史の一断面」河合義和編『情報の自由と脱社会主義』多賀出版、1994年、223~309頁
  4. 「ロシア沿海地方の変貌と法秩序の形成__ひとつの見取図」『法律時報』第66卷7号、1994年、64~75頁、第66巻8号、1994年、19~27頁
  5. 「ポーランドにおけるオンブズマンの誕生」『社会科学研究』第45巻3号、1993年、191~216頁、第45巻6号、1994年、65~98頁、第46巻6号、1995年、83~139頁、第48巻5号、1997年、61~109頁
  6. 「ポーランドの憲法法廷__ 一周おくれたトップランナー?」『法律時報』第69巻3号、1997年、22~29頁
  7. 「脱社会主義と生活保障システムのゆくえ__ポーランドの場合」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム 5__国家の多様性と市場』東京大学出版会、1998年、239~276頁
  8. 『世界の社会福祉・ ロシア・ポーランド』(稲子恒夫・武井寛と共著)旬報社、1998年、474頁(「ポーランドの社会福祉」227~474頁を執筆)
  9. 『市場経済化の法社会学』(編)有信堂、2001年、286頁
  10. 「ポーランドの法曹制度」広渡清吾編『法曹の比較法社会学』東京大学出版会、2003年、257~293頁

5. 研究活動報告

 1)私は、ソ連における労働法ないし国有企業における労働者組織の位置の問題を中心とするソビエト法の研究からスタートし、1980~81年のソ連留学のさいに集中的に行なった裁判傍聴をきっかけに、裁判の実態、さらには司法改革の問題にも関心をもつようになった。一方、このソ連留学のあと短期間ポーランドに滞在し、独立自治労組「連帯」の登場に示される社会主義システムの見直しの動きに触れたのを契機に、ソビエト法を相対化するという観点からかねて志していたポーランド法の研究に着手した。こうして、ソビエト法とポーランド法の双方を視野に入れるなかで、89年~91年をピークとする体制転換の時期を迎え、しばらくは両国において進行する事態を追跡することに力を注いだ。教授に就任した1993年は、政治システムにおいては多元的民主主義、経済システムにおいては資本主義をめざすという基本的な方向がほぼ明らかになり、そのうえで、いかなる民主主義か、いかなる資本主義かをめぐる対抗と選択という新たな問題が、さまざまな形で姿を現わすという局面に当たっていた。

 この年、社会科学研究所におけるグループ共同研究の成果として近藤邦康・和田春樹編『ペレストロイカと改革・開放__中ソ比較分析』が刊行された。そこに収録された主要業績・において、ソ連と中国の法システムをめぐる改革の動向を比較するさい、比較の対象が法システム全体のなかのどのような部分に当たるのかを明確にするために、一国の法体制を次のようにとらえるという構想を示した。すなわち、一方では、当該社会における社会諸関係がどのような法制度によって媒介されているかを、生産と労働、家族と生活、団体と情報、国家と市民(個人)といった問題領域における具体的な社会関係の内容に即して体系的にとらえようとする視角(<実定法の体系>)、他方では、以上を貫いて作用する法と国家との関係についてのイデオロギー、法規範の存在様式、法の実現のメカニズムとそこにおける裁判所の位置、法秩序の職業的担い手の地位、社会の構成員の特徴的な法意識などの分析をつうじて、社会の秩序形成において法の占める位置とその性格を明らかにするという視角(<法秩序の構造>)、を組み合わせるという構想である。教授就任後10年間の最後の時期には、10数名のロシア法研究者を結集した概説書『現代ロシア法』(2003年秋刊行予定)を以上のような構想を生かして編集し、ソ連崩壊後の現代ロシア法の前史としての「ソビエト社会主義法」の全体像をスケッチする試みを行なった(業績一覧(17))。

 しかし、この10年間の実際の研究は、次に見るように、日本における蓄積が極めて限られているポーランド法の研究を開拓する方向に大きく傾斜するものとなった。80年代までのポーランド法はソビエト法の決定的影響を受けていたため、ポーランド法の研究にとってもソビエト法についての認識が不可欠であり、逆に、ポーランド法の研究は、体制転換後のロシア法を研究するさいに、直接間接に生かされている。

 ロシア法についていえば、日本国際問題研究所における共同研究などをつうじて多様なテーマに取り組み、とくに租税・予算など重要性が高いにもかかわらず未開拓な問題をも不十分ながら手がけたが(業績一覧(33)(34)(37))、全体として系統性のある研究を展開するには至らなかった。

 また、この間、私のポーランド法・ロシア法研究は、社会科学研究所における中国研究との直接のつながりを持つことなく進められてきたが、10年を経て中ソ(ロ)比較研究に改めて取り組む機が熟しているように思われる。そのさい、私としては、ロシアをあいだに挟んで、ヨーロッパ統合に進む東欧(ポーランド)とアジアから世界経済システムへと接合しつつある中国という3者の比較を行なう構えができつつあると考えている。

 2)ポーランド(法)研究の第一の柱は、前記の第一の視角にかかわっている。言いかえれば体制転換における<脱社会主義>、すなわち社会=経済システムの転換の側面に着目した一連の研究がここに位置づけられる。

 まず、主要業績・のなかの「ポーランド国民投資基金法の成立過程」は、経済学の領域においても関心対象となっている国有企業の私有化について、そこではあまり検討されることのない“私有化のあれこれの方法が、なぜ、どのような経過で選びとられていったのか”という問題に着目したものである。すなわち、私有化によって誰を所有者とするかをめぐって<戦略的投資家モデル><従業員集団モデル><全市民モデル>という3つのモデルがありうるとしたうえで、<全市民モデル>に属する国民投資基金構想がどのような経過の中から浮上し、議会における立法過程をつうじてどのように法的に造型されていったかを分析した。関連して、業績一覧(15)では、私有化が日程にのぼる前史として、80年代までに「経済活動の自由」の原則が成立する経過を検討し、政治的転換の前夜である88年末の段階ですでに、雇用についての制限のない私的セクター形成のための法的枠組みが作られていたことを明らかにした。

 次に、労働問題については、主要業績・において、ソ連的な労働組合モデルからの脱却という文脈において、1980年に成立した独立自治労組「連帯」と1984年に結成された全ポーランド労働組合協議会(OPZZ)とを位置づけたうえで、政治的に対立する両者が、89年以降の政治的民主化・資本主義化という新たな条件のもとで、自らの位置を再定義する課題に直面していることを明らかにした。1980~81年の第一次「連帯」については、労働組合的側面と社会運動的側面という二面性をもつものであったということがポーランド論において共通認識となっているが、このような二面性が89年以降どのように転態したかを追跡する、言いかえれば、89年前後の連続と転換を明らかにするというのが、私の一貫した視点である。業績一覧(21)では、このような視点から80年代の主要なアクターであった「連帯」、カトリック教会、ヴァウェンサ(ワレサ)が90年代にそれぞれのアイデンティティ問題に直面した、と論じている。

 関連して、ロシアの労働法改革について業績一覧(10)(39)で、労働組合の動向について業績一覧(40)で取りあげている。

 最後に、社会主義国の経済システム(指令的計画経済)および政治システム(一党支配体制)と比較して正面から論じられることの少なかった“人びとの生活上の必要を充足するための財とサービスを供給するシステム”を「生活保障システム」と規定して取りあげ、指令的計画経済と結びついた「国家的生活保障システム」が80年代までのあいだに融解を開始し、90年代以降の脱社会主義局面において全面的に変容を余儀なくされてゆくプロセスをたどり、今後を展望したのが主要業績・である。この論文は、社会科学研究所の全所的プロジェクト研究「20世紀システム」の一環であり、上記のプロセスは、グローバル化に対する諸国民国家の対応の一事例、20世紀の基軸システム(アメリカ)に対する対抗システム(ソ連圏)の中の「弱い環」に属するポーランドにおける一事例として位置づけられている。生活保障システムを構成する雇用・老齢年金・家族手当・社会援助、女性・児童・高齢者・障害者の各福祉にかかわる具体的な制度の展開と問題点については、現地での聴き取り調査を踏まえた主要業績・「ポーランドの社会福祉」において整理を与えた。これに医療を加えれば、今後の変化を追跡してゆくための足場を築くことができたと考えている。

 このテーマには、「20世紀システム」に続く全所的プロジェクト研究「失われた10年? 90年代日本をとらえなおす」の一環である「自由化と危機の国際比較」においても引き続き取り組んでいる。ここでは、90年代以降の日本における福祉の見直しの動きを念頭に置きながら、東アジア・ラテンアメリカとの比較において旧ソ連・東欧の生活保障システムを分析することを課題としており、業績一覧(20)(53)はそのような観点から改めて問題の所在を整理したものである。私はこれまで、ポーランドの内側から問題を発見することに努めてきたが、福祉国家の国際比較についての理論動向を批判的に参照しつつ、比較の視点を強めることが今後の課題である(業績一覧(14)(24)、ロシアについての(30)も関連する仕事である)。

 3)ポーランド法研究の第二の柱は、前記の第二の視角(法秩序の構造)にかかわるもので、体制転換における<法治国家>形成と関連した一連の研究がここに位置づけられる。

 ポーランドは、89年の政治的転換に先立って、行政裁判(1980年)、憲法裁判(1985年)、オンブズマン(1987年)の各制度が導入された点で、他のソ連・東欧諸国のなかで独自の位置を占めている。これらの制度については、民主化以前という政治的条件に規定された制約をそれぞれともなっていたことから、89年以前に制度形成が行なわれたことの意義を重要視しない見解がポーランド内外に存在するが、私は、それぞれの制度の成立過程における論争を跡づけるとともに、できあがった制度が“思いがけなくも”重要な役割を演じ始め、89年以降につながっていったという見方に立っている。

まず、主要業績・において、検閲史という観点から行政裁判所の役割を明らかにした。80年のグダンスク協定を受けて81年に制定された検閲法は、検閲制度の存続を前提としつつ、それに裁判的統制を加える道を開くという妥協を表現するものであったが、このような妥協が可能となったのは、すでに最高行政裁判所が妥協の受け皿として存在していたからであった。この論文では、立法過程における論争を踏まえつつ81年検閲法の構造を明らかにしたうえで、最高行政裁判所の判決の流れを整理し、80年代の後半から末にかけて検閲が大幅に緩和される過程をすでにたどっており、90年に行なわれた検閲制度の廃止はかなりの程度「自然死」に近いものであったと論じた。

 次に、主要業績・において、オンブズマン(市民の権利弁務官)制度の成立過程の分析に取り組んだ。この論文では、検察制度、行政裁判制度、憲法裁判制度という関連する諸制度をめぐる動向とのかかわりでオンブズマン設置の構想が浮かび上がってくること確かめたうえで、立法過程を詳細に検討し、オンブズマン制度が政治指導部にとって必要かつ許容可能な改革として認められるに至ったこと、許容される範囲内で最大限意味のある改革を実現するうえで、翼賛的組織に過ぎないと見られることの多い国民再生愛国運動(PRON)が、改革志向的勢力に発言する場を与えるという機能をはたしたこと、同時に立法過程においてPRONが世論を動員したために、新しい制度に対する過剰な期待が喚起され、それが発足当初のオンブズマンに負荷を与えたこと、を明らかにした。続いてこの負荷が、微妙な政治判断のもとで選ばれた初代オンブズマン自身の役割理解のもとでどのように処理されていったかを「コミュニケーション過程」という観点から分析することをめざした。

 なお、オンブズマンはその後ロシアにおいても設置された。ポーランドのオンブズマンと比較しつつ制度を検討したのが業績一覧(31)である。

 第3に、違憲審査制については、主要業績・、業績目録(11)(13)という一連の論文によって、違憲審査を担う憲法法廷の成立と展開の過程についての初歩的な検討を行なった。国会を国家権力の最高機関とする権力統合制のドクトリンがなお生きていた段階において設置された憲法法廷に負わされた最大の制約は、国会制定法に対する違憲判決は国会が三分の二の多数で覆すことができる、という点であった。このような制約をともないながらも戒厳令導入後という複雑な政治状況のもとでともかくも発足にこぎつけたのは、ドクトリン上は否定されていた<自由主義的権力観>に連なる違憲審査制が、(オンブズマンと同様に)統一労働者党の指導的地位を脅かさない限りにおいて許容可能であり、かつ瑕疵ある権力の正統性を補完するために必要でもあると認識されたためであったというのが、・において示した見とおしである。(11)(13)では、権力分立原理が受容された89年以降も「三分の二条項」はただちには廃棄されず、97年憲法によって初めて判決の最終的効力を認められた言わば“普通の”憲法裁判所になってゆく経緯が略述されている。

 その後、このような違憲審査制の「ポーランド=モデル」の生成・展開・消滅の歴史を、1918年の独立時に遡りつつ比較史的に検討する本格的な研究を構想し、かなりの準備を重ねたが、2002年度までに完成させるには至らなかった。この間に発表したロシアについての業績一覧(38)および(42)~(47)、カザフスタン・ウズベキスタンについての(16)(36)は、このような研究の一環である。

 最後に、通常裁判所を中心とする司法制度の改革について、業績一覧の(18)および法曹に焦点を当てた主要業績・を発表した。裁判官などからの聴き取りをも踏まえ、ロシアとの比較を意識しつつ執筆したこれらの論文において、キャリア裁判官制度と弁護士自治の伝統が89年以降再編強化され、そのことが事件の急増と訴訟遅延という新たな環境とのあいだで緊張関係を生むという構図を示した。

 なお、主要業績・に示されるように、裁判研究においては法廷傍聴を中心に「自分の目で見る」ことを重視し、そのことが一定の評価も受けてきたが(宮澤節生『法過程のリアリティ』信山社、1994年、222頁)、業績一覧(48)は、ポーランドにおけるある刑事裁判の傍聴記録を、フィクション風の形式で書きとめたものである。

 4)この10年間に新たに着手した研究として、国家の中の特定の<地域>(リージョン)に焦点を当て、法秩序が再編されてゆくさまを追跡するケーススタディの試みがある。業績・は、日本との直接的関係(その可能性)が相対的に深いロシア沿海地方における連邦・連邦構成主体・自治体の垂直的関係、立法権と執行権との水平的関係、裁判所・弁護士会など司法関係諸機関の再編成の、1993~94年の時点における姿を切り取ったものである。これは継続的な定点観測の起点として意図されたものであり、その後も断続的に現地調査の機会を追求した(業績一覧(32))。

 ポーランドについては、産業構造とエスニシティの観点から見て特徴のあるシロンスク地方を研究対象として設定している。これまで2回、現地調査を行なっているが、研究会における報告を除いてまだ成果を発表するには至っていない。欧州連合への加盟を控えたポーランドの場合は、国内のリージョンの研究を、国家を超えたリージョン(EU)の研究と結びつけることが必要であり、今後の課題としたい(ポーランドに即した欧州統合の問題については、業績一覧(19)(51)を執筆した)。

6. 業績一覧(教授任用後、ただし著書についてはそれ以前のものを含む)

(1)単著
  • 『ソビエト裁判紀行』ナウカ、1992年、355頁
(2)共編著
  • 『日本社会と法』(渡辺洋三・甲斐道太郎・広渡清吾と共編著)岩波書店、1994年、226頁
  • 『世界の社会福祉・ ロシア・ポーランド』(稲子恒夫・武井寛と共著)旬報社、1998年、474頁
  • 『市場経済化の法社会学』(編著)有信堂、2001年、286頁
(3)論文
  • 「ソ連__まぼろしの『社会主義的法治国家』」近藤邦康・和田春樹編『ペレストロイカと改革・開放__中ソ比較分析』東京大学出版会、1993年、212~245頁
  • 「ロシア沿海地方の変貌と法秩序の形成__ひとつの見取図」『法律時報』第66卷7号、1994年、64~75頁、第66巻8号、1994年、19~27頁
  • 「労働組合」木戸蓊・皆川修吾編 『講座スラブの世界・ スラブの政治』弘文堂、1994年、224~248頁 
  • 「検閲にたいする法的統制の試み__ポーランド検閲史の一断面」河合義和編『情報の自由と脱社会主義』多賀出版、1994年、223~309頁
  • 「ポーランドにおけるオンブズマンの誕生」『社会科学研究』第45巻3号、1993年、191~216頁、第45巻6号、1994年、65~98頁、第46巻6号、1995年、83~139頁、第48巻5号、1997年、61~109頁
  • 「ロシアにおける労働法改革の動向」『ロシア研究』第17号、1993年、138~155頁
  • 「ポーランドにおける議会・違憲審査制・レフェレンダム」『法律時報』第69巻11号、1997年、90~95頁
  • 「脱社会主義と生活保障システムのゆくえ__ポーランドの場合」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム 5__国家の多様性と市場』東京大学出版会、1998年、239~276頁
  • 「ポーランドにおける議会・違憲審査制・レフェレンダム__妊娠中絶禁止法をめぐって」 比較憲法史研究会編『憲法の歴史と比較』日本評論社、1998年、444~457頁
  • 「社会主義と失業問題__七つの論点」加瀬和俊・田端博邦編『失業問題の政治と経済』日本経済評論社、2000年、207~236頁
  • 「ポーランドにおける『経済活動の自由』の原則の成立__社会主義と『規制緩和』」橋本寿朗・中川淳司編『規制緩和の政治経済学』有斐閣、2000年、71~97頁
  • 「カザフスタンの違憲審査制__憲法裁判所から憲法評議会へ」Institute of Social Science, University of Tokyo, Discussion Paper Series, J-104, 2001、38頁
  • 「ソビエト社会主義法__その全体像把握への一試論」Institute of Social Science, University of Tokyo, Discussion Paper Series, J-103, 2001, 37頁(小森田編『現代ロシア法』東京大学出版会、2003年刊行予定の第1章として収録)
  • 「体制転換と司法改革__ポスト社会主義ポーランドの文脈」『社会体制と法』第2号、2001年、21~38頁
  • 「ヨーロッパ統合とポーランド」宮島喬・羽場久シ尾子編『ヨーロッパ統合のゆくえ__民族・ 地域・国家』人文書院、2001年、193~218頁
  • 「生活保障システムの再構築__旧ソ連・ 東欧の視点から」末廣 昭・小森田秋夫編『自由化・経済危機・社会再構築の国際比較__アジア,ラテンアメリカ,ロシア/東欧』東京大学社会科学研究所、ISS Research Series,No.1、2001年、159~181頁
  • Ten Years of Political and Social Reforms in Poland, in: J.Hoos, K.Haba, T.Palankai (eds.), The Enlargement of the European Union toward Central Europe and the Role of the Japanese Economy, Budapest, AULA, 2002, pp.74-85
  • 「ポーランドの法曹制度」広渡清吾編『法曹の比較法社会学』東京大学出版会、2003年、257~293頁
(4)その他
学会報告ほか
  • 「旧社会主義諸国における『西欧法』原理の導入__人権」『比較法研究』第55号、1993年、35~44頁
  • 「脱社会主義下の社会保障__ポーランド」『比較法研究』第58号、1996年、、158~165頁
  • 「非西欧諸国における人権概念の受容と変容: 討論のまとめ」『比較邦研究』第59号、1998年、77~81頁
  • 「体制転換期の新刑法典:ポーランド」『比較法研究』第60号、1999年、188~195頁
  • 「『法整備支援』と比較法学の課題:コメント『社会体制と法』の観点から」『比較法研究』 第62号、2001年、144~148頁
  • 「個人情報保護法制の国際比較__民間部門を中心として:ポーランド」『比較法研究』 第64号、2003年、58~67頁
(4)小論
  • 「経済教室:米の『数値目標』要求:競争促進に逆行」(伊藤隆敏, 伊藤元重, 植田和男氏と共著),『日本経済新聞』1994年1月28日.
  • 「やさしい経済学:円高と日本経済」, 『日本経済新聞』1995年5月20日-26日.
  • 「経済システム・震災対応型に」(廣田一氏と共著), 『日本経済新聞・経済教室』, 1995年11月4日.
  • 「平成8年度下期の経済展望-低金利政策の維持で民間需要の回復を」,『NOMAプレスサービス』(社団法人・日本経営協会),No.541(1996年9月),5-7頁.
  • 「行間を語る-アジアの金融・資本市場」,『日経金融新聞』1996年10月23日.
  • 「経済教室:新興市場安定への道(上)地域的な協調の枠組みを」『日本経済新聞』(1998年11月4日)。
  • 「経済教室:最貧国の債務削減―範囲拡大・早期実施も重要」『日本経済新聞』(1999年6月16日)。
  • 「経済教室:アジア、不良債権処理急げ」『日本経済新聞』(2001年2月9日)。
  • 「経済教室:米同時テロ・危機と日本(下)米欧との政策協調一段と」『日本経済新聞』(2001年9月27日)。
  • "A Replay on the Cards for East Asia?" Business Times (Singapore), (April 17, 2001). "Four Reasons to Be Optimistic." Financial Times (November 19, 2001), p. 13.
  • 「巻頭言:ユーロと国際通貨システム」『日本経済研究センター会報』(2002年1月15日)。
  • 「経済教室:貿易・通貨、アジアと協調」『日本経済新聞』(2002年1月16日)。
  • "Regional Economic Cooperation in East Asia―Early Days." Look Japan (July 2002), pp. 15-17.
  • 「問われる日本の国際協力41・政府開発援助(ODA)の有効性を高めるために」『国際開発ジャーナル』2002年10月、18‐19頁。
  • "Time for a Switch to Global Reflation" (co-authored with Haruhiko Kuroda). Financial Times (December 2, 2002).
  • 「経済教室:イラク復興と世界経済(下)日米欧、構造改革が不可欠」『日本経済新聞』(2003年5月6日)。
研究報告書
  • 「1993年12月のロシア議会選挙と選挙法」外務省欧亜局ロシア課『ロシア連邦の立法動向―新憲法成立への動き』』(平成5年度外務省委託研究報告書)1994年、44~70頁
  • 「ロシア雇用法とその周辺」外務省欧亜局ロシア課『ロシア連邦の立法動向と市民社会』、』(平成8年度外務省委託研究報告書)1997年、111~132頁
  • 「ロシアにおけるオンブズマン法の成立」外務省欧亜局ロシア課『第2期エリツィン政権下のロシアの立法動向』』(平成9年度外務省委託研究報告書)1998年、98~124頁
  • 「ロシア沿海地方の統治機構と税財政」日本国際問題研究所『ロシア・極東地域情勢研究』』(平成9年度外務省委託研究報告書)1998年、22~50頁
  • 「ロシアの予算法__97年度予算に則して」『民主化と市場経済化の状況下におけるロシアの立法動向』』(平成10年度外務省委託研究報告書)日本国際問題研究所、1999年、36~72頁
  • 「税財政と憲法__ロシア憲法裁判所の判決から」『エリツィン体制下におけるロシアの立法動向』(平成11年度外務省委託研究報告書)、日本国際問題研究所、2000年、20~44頁
  • 『体制転換期ロシアにおける人権の理論的・実証的研究』(平成9~11年度科学研究費補助金研究成果報告書、研究代表者)、2001年、199頁
  • 「憲法適合性審査機関」『中央アジア諸国の裁判制度・報告書』(日本貿易振興会アジア経済研究所委託)、名古屋大学大学院法学研究科、2001年、35~62頁
  • 「ロシア租税法典__総則上の諸問題を中心に」『ロシアの立法動向__経済関連諸法の現状』(平成12年度外務省委託研究報告書)、日本国際問題研究所、2001年、19~32頁
  • 「憲法裁判所と通常裁判所__ロシアにおける規範統制のメカニズム」『ロシアにおける司法改革の動向』(平成13年度外務省委託研究報告書)、日本国際問題研究所、2002年、75~105頁
  • 「ロシアにおける労働紛争と法」『プーチン政権におけるロシア社会 ・労働法制の改革』 (平成14年度外務省委託研究報告書)、日本国際問題研究所、2003年、56~84頁
小論ほか
  • 「労働組合は生まれ変わったか?」長砂實・木村英亮編『「どん底」のロシア』かもがわ出版、1993年、89~99頁「司法の窓から見たロシア極東」北海道開発問題研究調査会
  • 『ロシア極東への視座』、1994年、69~88頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から1.小選挙区比例代表並立制の合憲性」「ユーラシア研究所 NEWS LETTER」No.38-39、1999年、15~18頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から2.陪審制と死刑」「ユーラシア研究所NEWS LETTER」 No. 40、2000年、8~10頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から3.スクラートフ検事総長事件」「ユーラシア研究所NEWS LETTER」No.42、2000年、8~10頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から4.信教の自由と宗教団体登録」「ユーラシア研究所NEWS LETTER」No.43、2000年、7~10頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から5.刑事事件の弁護人は弁護士に限られるか」ユーラシア研究所NEWS LETTER」 No. 48、2001年、2~8頁
  • 「ロシア憲法裁判所の判決から6.ロシア連邦を構成する共和国は『国家』だが『主権』はもたない」「ユーラシア研究所NEWS LETTER」 No. 52、2002年、6~12頁
  • 「『バール魔』の芝居見物」『窓』第97号、1996年、14~20頁、第98号、1996年、18~24頁、第99号、1996年、28~33頁
  • 「ポーランドで何が起きたのか__出身を巡る対立は過去のものになった大統領選」『世界週報』Vol.81,No.43,2000.11.14、14~17頁
  • 「ポーランド左翼の苦い勝利__反欧州統合派の台頭の下で改めて試される統治能力」『世界週報』Vol.82,No.44,2001.11.20、28~31頁
  • 「EU加盟で見せたポーランドの粘り腰」『世界週報』Vol.84,・.5,2003.2.11、14~17頁
  • 「社会主義のゆくえ__過去と未来との対話」教育科学研究会 『現代社会と教育』編集委員会編『現代社会と教育<1>現代と人間』大月書店、1993年、64~101頁
  • 「体制転換と<社会的次元>」(東京大学文系四研究所共催シンポジウム「21世紀の世界秩序-グローバル化と公共性」報告)『社会科学研究』第52巻6号、2001年、94~101頁
  • 〔講演記録〕Kilka refleksji o powojennym spo_ecze_stwie Japonii, Pozna_, 1995, s.23
  • 「ポーランド法の調べ方」『社会主義法のうごき』(別冊)、1997年、22~38頁
  • 〔書評〕「中国研究所編(新評論)『中国年鑑1996』」『中国研究月報』第50巻9号、1996年、54~56頁
  • 〔事典項目〕「憲法」『東欧を知る事典』平凡社、1993年、122~125頁
  • 〔事典項目〕「家族法[ロシア・東欧]」比較家族史学会『事典 家族』弘文堂、1996年、201~202頁
翻訳
  • イーゴリ・クリャムキン/タチアーナ・クトコーヴェツ「リベラルな価値への道におけるポスト=ソビエトの『私的人間』」『現代思想』第25巻4号、1997年、263~271頁
  • 「ロシア連邦の国家公務の基本原則についての法律」『ロシア研究』別冊5、1997年、1~15頁
  • 「ポーランド共和国憲法」『世界の憲法集〔第二版〕』有信堂、1998年、405~434頁
  • 「一九九二年スロヴァキア共和国憲法」「一九九七年ポーランド共和国憲法」(地方自治関連規定の訳と解説)杉原泰雄他編 『資料 現代地方自治__「充実した地方自治」 を求めて』 勁草書房、2003年、124~134頁

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