東京大学社会科学研究所

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諮問委員会

第1回 諮問委員会議事要旨

 2008年4月3日、当研究所において、5名の委員全員の出席のもとで、社会科学研究所諮問委員会第1回会議が開催された。

 審議に先立ち、委員長に伊東晋委員が互選された。

 まず、小森田秋夫所長から研究所の活動全般について説明があり、それをめぐって質疑応答が行われたあと、各委員から、研究所の活動のあり方や今後の方向について、大要以下のような意見が出された。

社研がめざすべき学問の方向をめぐって

*社会科学研究所はディシプリン型の研究所として始まったわけだが、それぞれの研究者は自分の専門性を特化していこうとする志向をもつ。それを超えるために、ディシプリンの配置は動かさないでおいて地域研究などによって組みなおしていくとしても、 multidisciplinary にはなっても interdisciplinary にはなれない。個別的なものを総合するのではなく、ひとつのテーマについてそれぞれが方法を持ち寄って解を出していくというプロジェクトが、まだ弱いのではないか。現代的な課題やテーマ、いま問われていることについて、東大社研はこういう研究成果を出しているということを示す、という方向性が考えられる。

*学問的に分離してきた経済学と政治学のふたつを融合しようとすることだけでも、相当に大変である。社研は、希望学にしても中国研究にしても、4つのディシプリンが融合はしているとはいえないとしても、マルチなアプローチにはなっている。それはそれで意味があり、社研のめざす方向は自然なものである。地域研究は、政治学と経済学など、様々なディシプリンが触れ合う場である。

*ディシプリンの専門性を磨く一方で、総合的な課題の共同研究では、それぞれの方法論に立った特徴的な見方をできる人が、他の領域の話も興味を持って聞くということができなければ、総合的な課題にアプローチしていくことはできない。

*この 20 年ほどのあいだに、日本の社会科学は大きく変わった。30 代の若手研究者は専門化、計量化の方向に向かい、研究者が集まって共同研究を行うような環境が失われつつある。そのような中であえて総合科学としての「社会科学」を前面に出すつもりならば、学問が分化する中でなぜ社会科学なのかを、理念的にも方法論的にも明らかにする必要がある。そうでなければ、「 社会科学研究所」という看板がかえってネックとなる可能性がある。むしろ、研究所の名称の変更をも視野に入れて、外から見てわかりやすいものにするということが考えられてよい。

*社研には、伝統的に、マルクス経済学的な資本主義発達史とか、政治思想史といったイメージがともなっていた。そ のようなものを受け継ぎ、生 かしながら新しい方向に進み、「社会科学」をめざす社研の裾野の広さをアピールする必要がある。

*『研究所年報』では、日本研究に特化した研究所ではないという意味で日本研究所ではないと述べられているが、少なくとも中核部分については日本研究を強調してもよいのではないか。外国の研究をするにしても、そこには日本との比較が含まれているのであって、おのずから日本研究が浮かび上がってくるはずだ。

*国際的に見ても、これからは日本の中での国際化にとどまらず、国際社会の中での国際化が重要だとすると、日本研究を行う社会科学研究所と考え、日本の社会科学研究者として外国に向けて発信してゆくということを中核とすべきではないか。日本のことを研究したかったら東大社研に行くべきだ、というようになるといい。

*社研は海外の日本研究者にはよく知られている。伝統のある研究所なので、東大社研に在籍していたという話をよく耳にする。これまでは、海外から社研に来て学んでいったということだろうが、今後は、社研からもっと発信してゆくことが重要だろう。そのさい、日本研究で国際的な場に出てゆくというのが社研のひとつのコアであるとしても、いろいろな専門の人がいるので、それがすべてではないだろう。

日本社会研究情報センターの活動とその位置づけについて

*アメリカのデータアーカイブである ICPSR には、ヨーロッパのデータもアメリカのデータも入っており、世界中の研究者が数量化されたデータを共有するデファクト・スタンダードになっている。日本は、データバンクという点でまだ弱い。そのような中で、日本の各大学や研究所などの調査データが社研のデータアーカイブに集まっていて、無料で使える、ということは非常に重要である。様々な分野の数量的データが集まっているデータアーカイブは社会科学の発展にとって最低限必要な基礎であり、日本の社会科学が国際的に太刀打ちするにはなくてはならないものである。データアーカイブがはたしているこのような役割を大学当局(法人)にもよく理解してもらい、支えてもらう必要がある。

*社会科学に特化した日本研究誌としての SSJJ が、年2回ではなく、4 回、5 回と発展して、日本からの発信の拠点になってくれるとよい。新しいものを作るのはなかなか大変なので、現在あるものが拡張していくことが望ましい。いまのまま回数を増やすと質の維持という問題がでてくるとすれば、若手に積極的に書かせるようにし、やがて書籍として刊行され、その元はここに載った論文だということになれば、い い投稿が集まってくる。こ れは日本研究者の登竜門だということになれば、引用される回数も増えるし知名度も上がる。このように、戦略的に考えてゆくとよい。

*『研究所年報』で、センターを 2 つに分け、社会科学的日本研究の拠点機能と社会調査のデータバンク機能を明確にする、という方向を示しているのは非常に重要だ。この 2つは、日本を代表して社研が持続的に担う機能、外国からいつ来ても社研が行なっている活動として、大学や国の費用で支えるのにふさわしいものであり、長い目で見て社研の売りになるのではないか。そのうえで、外部資金によって、その時々のテーマを時限的プロジェクトとして追求している、という位置づけになると思う。

人事交流などについて

*学内の人事交流はなかなか難しいと思うが、学外との人事交流は、1 年間社研に来るとか社研から 1 年間でてゆくというようにフレキシブルにできるとよい。

*全所的プロジェクトが時代の要請を反映したテーマを取り上げて個々のディシプリンを超えた課題に応えてゆくとすれば、それにふさわしい人材(とりわけ社研が恒常的には擁していない分野の研究者)を、フレキシブルに時限的にでも受け入れると、研究水準の向上にとって、非常に良い刺激になる。

*大型資金がとれれば、1 年間来てもらうということも可能になるだろう。同じメンバーでプロジェクト研究を続けてゆくのは難しいので、プロジェクトに応じた人事交流は不可欠だ。

*もっと大型科研費をとってくる必要がある。東大の研究所としては、それが義務だと言えるのではないか。

広報活動について

*社研がこれだけの活動をしているにしては、それがあまり知られていない。広報活動が戦略的ではないのではないか。広報部門を強化して、東大内部に対しても、日本の大学に対しても、外国に対しても、戦略に広報活動を進めるべきではないか。

*専門的な研究が一般の人に伝わっていかないのはもったいない。例えば、「失われた 10年」の研究などは宝の山だと思うので、一般の人に読んでもらえるように噛み砕いてシリーズで出す、ということなども考えられる。

*一般の人に対する働きかけも重要だが、一番大事なのは研究による発見の豊かさや新しい研究方法の開拓(例えば希望学プロジェクトの地域=釜石との連携)の成果などを、研究者の中にどうアピールして期待に繋げるかだ、ということを忘れてはならない。

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