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外部評価報告書
個別報告書
北川 善太郎
東京大学社会科学研究所 外部評価報告書
2000年2月22日
1 概要
本報告書は東京大学社会科学研究所外部評価委員会の個別報告書である。これは、事前に配布された「東京大学社会科学研究所の現状と課題―自己点検・自己評価報告書―(1999年7月)」「附属文書1・2・3」その他多数の参考資料ならびに1999年11月19日の外部評価委員会ヒアリング及び同委員会協議に基づいて一委員としての所見をまとめたものである。
内容は、まず東京大学社会科学研究所(以下「社研」と略称する)の研究体制について、プロジェクト型研究所、全所的プロジェクト方式等に関する所見を述べる。ついで、研究活動面に関して、日本社会研究の拠点としての活動の成果とこれからの課題、今後の方向として示唆されている政策研究から政策提言的研究への展開、について検討したい。その上で「社研」の研究活動面が直面していると思われる課題について私見を述べる。さらに「社研」の研究体制や研究活動面の課題との関連で人事・予算面に言及し、最後に付属施設の活動について触れる。
2 研究体制
1)「比較」について
「社研」の4大部門は「比較」という名称を共通にもっている。すなわち1985年に大部門制に変換され比較現代法・比較現代政治・比較現代経済・比較現代社会が設置されている。これまでの「社研」の活動や今後の方向からみて、研究体制の本筋とは直接関係しないものの、この「比較」の意味が次第に不明確になってきているように思われる。
たとえば日本社会研究の拠点を標榜する姿勢との関係にしぼっても、比較には外国との比較、「会社社会」「会社主義」といわれた頃と現在との異なる時代間の比較、あるいは異世代間の比較が研究にあたり問題となる。さらには日本社会論でも社会科学、人文科学、情報科学、自然科学等々において同じ問題に取り組む方法(政策提言も含めた)相互の比較もなされる必要がある。外国との比較を対象とする比較文化論や比較法という部門はあるものの「社研」における研究、というよりも学術研究においてどのような「もの」と「もの」の間であれ比較が当然の前提ないし固有の方法となっている。これは個別研究はさておき学術研究一般において比較という名称を付する意味がなくなりつつあるのである。
2)「プロジェクト型研究所」としての「社研」について
「社会科学研究所はプロジェクト型研究所のプロトタイプを目指す」(報告書 19頁)という宣言から私は斬新な印象を受けた。とくに伝統のある規模の大きい「社研」のような研究所が全所的プロジェクト方式を採用し、研究所上げて数年間にわたりプロジェクトを共同で行いその成果を大部な出版物として刊行するという方針は大いに評価されるべきである。しかもそれが学会を越えて多大の反響を呼んだ『現代日本社会』『20世紀システム』等の6シリーズに結実しているだけに一層そうである。
さらには1998年以降わが国の社会科学の分野では先駆的な英文専門誌 "Social Science Japan Journal" を年2回刊行している。これにより「社研」は研究機関としての完成度を高めつつある。
ここで若干の私見をはさむならば、「社研」が大型の研究所であるだけに全所的プロジェクトは複数制にした方が研究所の一層の発展につながるのではないかという点である。これはプロジェクト課題、予算や研究者数との関係があるので簡単ではないが、大型の研究所があげて単一のプロジェクトを数年間実施することは、これからの社会科学研究の方法として適当であろうか。「比較」についても触れたように、環境、人口、医療、高齢、教育等々深刻な共通課題が山積しつつある現代から近未来にかけて、どのようなプロジェクトでも大型になると一応は横断的に共同研究スタイルでまとめられても、課題解決につながるような政策提言にはなりにくいことが予測できる。なによりもわれわれに求められているのは、異種の学問領域の間で共通した用語と方法が開発されてない状況で異なる領域相互のインターフェイスをどうとるかである。ささやかな問題でもこれができればそれから糸がほぐれてきそうである。このように考えると実験的な試みも同時進行的に実行できる複数プロジェクト方式が考えられてもよいのではないだろうか。これを「社研」に期待したい。
いま一点、個別研究の途を閉ざすことへの疑問である。全所的プロジェクト方式が個人の創意を活かす方向を閉ざすのであるならばこれは大変残念なことである。創造的な研究は個人の創意にまつことが大きいことは古来変わらないからである。この意味からも複数プロジェクト方式が望ましいように考える。
3)「日本社会研究の世界の拠点」としての「社研」について
これは、「社研」の近時の一連のプロジェクト研究から出てきた構想として自然である。またそう自負するだけの実績も蓄積されている。研究所の有様としてこうした展開は特記すべきことである。この点でつぎのような所感を付加しておきたい。
20世紀から21世紀にかけて世界はどのような課題であってもなお「欧米モデル」が中心になって動いていくことは否定できないであろう。かつて日本は経済大国にまで成長し、一時期、経済超大国として国内でも日本モデルへの自信と関心が高まった。しかしながら日本がその繁栄を謳歌していたまさにその時期に欧米諸国では日本社会異質論が台頭していた。内外における日本社会観の格差は大きかった。だがバブルの崩壊と共に日本の近未来が必ずしもバラ色ではなく日本経済が後退すると共にそうした内外で対照的な日本社会像もいつしか影を潜めている。
これはややパターン化しているが、このような思想状況は学問的にまだ架橋されないままである。このような意味合いで「社研」が「欧米モデル」でない「多元モデル」とでもいえる日本社会研究を内外の種々の潮流の中で押し進めるならば、それは容易ではないが従来にないオリジナルな学問状況を内外に作り出すことになろう。もっともこれからは社会科学を超えて自然科学や情報工学を取り込んだ学際的研究体制が社会科学の研究でも必要となる。
限られた研究者による部門構成のなかでこのような学問状況をどうして作り出すかはそれ自体が大きな課題であり未知への挑戦である。
3 研究活動
1)「日本社会研究」
こ以下は研究体制で取り上げたところと若干重なるが、日本社会研究が「社研」の研究活動の「より直接的な中心的研究対象」であるとされている点をあらためて検討したい。その理由として、「経済大国」である日本社会システムの独自の特徴を知ること、独自な社会科学的日本研究が発展してきたこと等が指摘され、企業社会、社会主義という言葉を普及させたことで知られるプロジェクト『現代日本社会』
(1985~1992)が日本社会研究への転機となったとされている。さらにそれにつづくプロジェクト『20世紀システム』(1994~1998)が日本の社会システムの形成と変容への関心をグローバルな歴史的文脈と構造(システム)の分析のなかに位置づけたとされている。
そして「社研」の日本社会研究は①学際的研究、②「社会」研究の視角、③国際比較の視点による「社会」の相対化そして④実証的研究という特有性を持つにいたったと自己評価されている(報告書8~9頁)。
日本社会についてグローバルな研究拠点ができることはこれからの学問環境にとり重要であるので、このような方向性がさらに拡大され深化されることを期待したい。これとの関連で日本社会研究そのものがかつてのような華々しさを失いつつあるなかで、どのような意義を内外で持ちうるかについては絶えず厳しい理論的実際的吟味を忘れてはならないであろう。これは日本の比重低下に伴う研究課題への関心が後退するなかで日本社会研究の問題性が重要であることをどのように正当づけるかの問題である。
さらにより積極的な正当づけも求められてくるであろう。グローバルな地球環境において、日本社会でもまたどの社会でも等しく解決を迫られている緊急の共通問題が続出している。「社研」の日本社会研究がこれらをどのように扱うのかが問われよう。そこでは社会問題の研究が社会科学プロパーの研究対象というよりも科学技術をも総動員した検討事項となりつつある。日本社会研究のような社会科学研究でも全学問分野との共同研究体制を取らないと建設的な発言をする余地がなくなりつつある。環境保護問題、貿易問題、金融問題、情報、ディジタル技術・コンピュータ等々どれをとってもそうである。そのような現実に生起している近未来問題に自然科学・技術から対応している一例としてアメリカ科学アカデミーの研究活動の成果(The National Academy Press の出版リスト<http://www.nap.edu/>参照)が参考になる。
こうした積極消極両様の検討課題を無為に放置するならば「社研」の日本社会研究の意義が低下し、ひいては研究所のアイデンティティにかかわってこないとも限らないであろう。
2)「政策提言的研究」
「社研」の今後の方向として「政策批判・政策研究をこえて、独自の政策提言的研究」をどのように位置づけるかという課題が上げられている。それによると「研究所の研究活動は、日本社会の進路についての選択に手がかりを与えるような基礎的かつ実証的な認識を提供する点にその中心的な社会的役割があるが、研究所の課題としてさらに上記の意味における政策研究をどう進めるかを考える必要があろう。」(報告書9頁)
「社研」の研究活動として、日本社会の進路選択に役立つ基礎的かつ実証的な認識を提供する「社研」の役割りに加えて、「独自の政策提言的研究」が課題とされている。これはかなり重大な意味を持ちうると考える。ここではそのような課題を追究するさいに問題となる検討事項はなにであろうかという視点からの私見を述べてみたい。
まず、最初に指摘したような意味で社会科学研究の内在的な手法である「比較」をどのような「もの」との間で行って政策提言的研究を実施するかである。この点は既述を参照されたい。
つぎに、社会科学研究にとり情報は研究基盤となりつつあると考えられるが、「社研」の政策研究に情報の問題をどのように取り入れるかにより提言の実効性が決まるといえる。ここで日本社会研究と情報の関わり方という魅力あるテーマに遭遇するであろう。情報と同質である知的財産は政策研究にとっては独自の重大領域になってきている。科学技術の社会に与えるインパクトに対する政策研究もより積極的に視野に入れる必要があろう。
また、これは別の論点であるが、日本社会の有り様に対する政策提言となると、日本社会の特質を抑えたものでないと、つぎはぎ方式の政策になってしまうおそれがある。たしかに欧米モデルの導入型の提言でも効果を生むことがあるかも知れない。そのような場合でも日本社会の特質を抑えた上での結論がそうなるならばそれはそれとして肯定できよう。問題はそうした点を抑えるような政策に関する学術研究であるかである。
さらにこうした政策研究ではどのような方向であれ社会科学の枠内で可能ではないことも自明である。問題によってはというよりも重大であればあるほど問題とその解決には社会科学を超える研究体制が求められている。この点もこれまで指摘してきたところである。
付言すると、「社研」の将来像として、国際比較の視点が強調され、総合的実証的社会科学研究の新次元がうたわれている(報告書21頁)。そうした未来像をたとえば政策提言的研究でどのように実現するかに際してここで指摘したような視点が改めて問われることになるであろう。
4 人事・予算面に関する事項
「社研」の人事や予算に関する事項は重要な外部評価事項であるが、ここでは報告書とヒアリング調査、意見交換から得た印象を少し述べることで責めをふさぎたい。
「社研」は人事と研究とを相関させる方向を目指している。たとえば後任を同じ分野から求めない点で学術研究の発展に研究組織を対応しやすくしている。研究組織委員会における合意形成方式により人事が運営されていることと相まって、この人事政策は評価される。
もっとも全所的プロジェクトが単一であり助手もそのプロジェクトの研究メンバーとして採用される方針のようであるが、全所プロジェクトが慎重な手順を踏んで決定されるにしても若手研究者の研究がそれに吸収されることになる。「社研」の研究体制との関係で触れたが、この点の問題性は残らないであろうか。研究の自由と関係するので人事管理面で研究における少数者の発想・構想をいかに活かすかに配慮が必要であると考える。
つぎに客員教授・外国研究員との交流実績は「社研」の特筆すべき成果である。こうした実績があるので、次期構想で考えられている国際共同研究(報告書40頁)も実質的な実りを生み出すであろう。また比較経済政策研究の客員教授ポストの活用においても同様であり、政策提言的研究で指摘した問題点も適任者を得れば「社研」の現機構のなかでさらに展開させることも可能となろう。
「社研」が日本社会研究におけるハブ的機能を担うにあたり国際的な共同研究や人的物的国際交流の機会が飛躍的に増えることと思われるが、限られた校費では十分な対応は困難であろう。勢い科学研究費や寄付に頼らざるを得ないが、委任経理金あたりを努力してもう少し増やす必要があるように思う。新たな可能性として内外の公的機関からの委託研究を受け入れることも検討に値しよう。
5 付属施設の活動
「社研」の研究活動と情報との関係についての課題については上述したが、附属施設で情報に対する取り組みがされていることは今後の研究課題とのリンク体制の整備次第では重要な意味を持ってくるであろう。
附属文書やヒアリング調査からつぎのコメントにとどめたい。現在の時点で「日本社会研究情報センター」の「データアーカイブ」は性格上より広範な種類のデータが揃うことが望ましいのでむしろ独自の別機構に発展するべき性質の事業であるかも知れない。いまのままで「社研」が管理運営することが適切かの問題があろう。また「多言語イントラネット」には「社研」の研究体制とは異質な構想のものであると思われるだけに、その展開は注目されるが「社研」の研究体制との関係等はさらに検討が必要であろう。
これに対して、SSJForumは「社研」の顔としてインターネット上でその本来の研究活動の拠点としての役割を担っているので「社研」と内容的に連動している。これはインターネットが普及する少し前から「社研」の英文エッセイに私自身注目していたが、英文出版活動と共にこのForumの充実した展開は「社研」の将来像と密接につながっている。
「社研」の情報発信機能としてこうした附属施設の活動をみると全体としてのイメージは多様であり、やや別々に機能している印象を受ける。今後はSSJForumを軸にした情報拠点の情報発信機能を伸ばすことが望まれる。
6 おわりに
これまで、単一性の全所的プロジェクトに対して複数制の導入問題、個別研究の途が開かれていることの重要性、欧米モデルでない多元モデル的な日本社会研究への期待、地盤沈下する日本の日本社会研究の比重低下の問題、日本社会研究のなかで人間の共通課題にどうして対応するかの問題、現在までの研究手法と政策提言型研究との関係、人事交流や人事管理面の問題、予算面で条件の付かない委任経理金増への努力、内外の公的機関からの研究の受託、情報基盤の形成等々について私見を述べてきた。
「社研」はいうまでもなく国立の社会科学研究機関として伝統と高い水準を誇っている。その「社研」の目指している日本社会研究の国際的ネットワークの形成はやがてその目的を達成するであろう。その過程で「社研」自身も「どのように新しい質をもった社会科学研究を目指していくかという今後の課題」であるとしている(報告書15頁)。
「社研」が現在までの日本社会研究の延長上で新しい質をもった社会科学研究を創り出していくのか、そこに到るにはなにか脱皮が必要になるのか。「社研」は、そのうちに日本社会の研究という視点をより鮮明にし明確にする方向でその課題を解いていくのか、それともむしろ日本社会研究という構図を柔軟にとらえ、その日本社会研究が現代社会の枠組みを超えて人間に共通した近未来の課題をも取り込む方向でその課題を解いていくのか、の選択を迫られるであろう。いずれかが正しい選択であるとはいえないものであるが、「社研」の今後の進む方向が注目される。
十分な検討がなされないままに見当違いな点も多々あることを恐れるが、本個別報告が何らかの参考になれば幸いである。