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新刊著者訪問 第17回
『日本経済の長い近代化—統治と市場、そして組織1600-1970』
編者:中林真幸 編
名古屋大学出版会 2013年:5600円(税別)
このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。
第17回となる今回は、日本経済史・経営史を専門分野とする中林真幸准教授の『日本経済の長い近代化 統治と市場、そして組織1600-1970』(名古屋大学出版会2013年2月)をご紹介します。
- <目次>
- はしがき/謝辞
- 序章
の統治と諸市場の逐次的な拡大 中林真幸 - 第I部 取引の統治と市場の形成
- 第1章
財市場と証券市場の共進化―近世期地方米市場と土地市場の動態 高槻泰郎 - 第2章
財政国家の成立―財政基盤の確立と公債市場の成立 中林真幸 - 第3章
株式市場の誕生と金融政策の成立―日本銀行と資本市場 中林真幸 - 第II部 市場と企業
- 第4章
市場と生産の相互作用―横浜生糸市場と蚕糸業の再編 中林真幸 - 第5章
企業統治の成立―合理的な資本市場と紡績業の発展 結城武延 - 第6章
企業組織内の資源配分―紡績企業における中間管理職 結城武延 - 第III部 内部労働市場の成立
- 第7章
労働市場と労働組織―筑豊炭鉱業における直接雇用の成立 森本真世 - 第8章
内部労働市場の形成―筑豊炭鉱業における熟練形成 森本真世 - 第9章
内部労働市場の深化と外部労働市場の変化―製鉄業における教育と経験と賃金 中林真幸 - 終章
共同体と市場、市場と企業 中林真幸 - 参考文献/図表一覧/索引
――日本経済の出発点は400年前とのこと!この長きにわたる日本経済の研究に取り組まれたそもそものきっかけは何だったんですか?
そもそも、という話をするならば、高校時代に日本史を勉強していた頃に遡ります。平安時代から応仁の乱の頃まで続いた荘園公領制の下では、一枚の田圃の上に、年貢を払ったあとの残余を受け取る耕作者、水路の管理などに責任を持つ代わりに年貢収入の一部を定額で受け取る地主、警察業務を提供する代わりに定額を受け取る地頭、つまり侍ですね、その上に中央の行政とのつながりを付ける代わりに定額を受け取る下級貴族、そして頂点に、司法業務を提供する代わりに定額を受け取る、本家や本所と言われる荘園領主がいました。本家になるのは天皇家や貴族、大寺社です。そのように、米表示の定額請求権と国家から委任された業務を遂行する義務とを一組にしたものを「職(しき)」と呼ぶわけです。朝廷に「荘園」として認定されていない公領の場合にも、たとえば地方貴族の職称が国司に代わるだけで、基本的な構造は同じでした。朝廷から警察業務の割り当てを委任された鎌倉幕府が任命する各地の武士は地頭職(じとうしき)を持つことになります。地頭の言葉として、「一所懸命」がよく知られていますが、彼らが命を賭けても守ろうとした「領地」に対する権限関係とは、実は排他的な所有権でもなければ統治権でもなく、地方公共団体としての警察業務を提供する債務と、その反対給付として毎年、反別5升の米を受け取る債権の組み合わせでしかなかったのです。この、永原慶二先生が立てられた、有名な「職の体系」のおかげで荘園公領制がすっきりと分かったわけですが、今日の世の中とはまったく異なる、超分権的というか、何でもかんでも民営化してしまった国家があったということは大きな驚きでした。
それでは、私たちの常識を超えた空間であった日本が、今日の私たちが知っている日本のあり方、つまり、政府は政府として一元的な統治権を持っていて、一方、土地の所有者が誰なのかがはっきりしているあり方に移っていったのはいつ頃だったのかというと、それはやっぱり楽市楽座で市場が立ち上がって、検地で百姓の所有権が確定されていく戦国末期ということになるわけですね。昔、東大の入試で、内藤湖南の、今の日本を知りたければ応仁の乱の後を調べれば良い、という有名な一節が出題されたことがありますが、いや、まったくその通りだなと納得したわけです。
――なるほど。それで、そこからの4世紀を眺めたのが本書、というわけですね。
4世紀をなるべく一貫した視点から眺めると同時に、各時代の特徴をよく表している事例を実証的に分析するということを何とか両立させようと試みました。上手く行っているかどうかは別問題ですが、やりたかったことは、と問われればそういうことになります。
――歴史的に見て日本経済の制度的な特徴はどういうものですか?
そのように超長期にわたって眺めた場合の日本経済の制度的な特徴は、非常に早い時期に、普通の人々の「所有権」が確立し、それに基づく市場経済が立ち上がったということです。中世が分権的であったのは、たとえばイギリスでも同じですが、近世に入るときに、イギリスは日本とは全く逆の方向に進みました。日本では、封建領主、つまり大名はただの地方政府となる一方、年貢納入者として登記された本百姓(ほんびゃくしょう)が地面の所有者となりました。大名は幕府の都合次第で転勤することもありえたわけですが、百姓はその土地の文字通りの所有者として、2世紀、3世紀と、代々、土地を耕し続けたわけです。ところが、イギリスの場合、王家とか貴族とか、日本ならば中央政府や地方政府であるべき存在が、同時に、統治する国土の所有者になってしまうわけですね。日本で大名が「エンクロージャー」みたいなことをしようものなら、所有者である農民は激昂して一揆を起こして、幕府はそれに腹を立ててそんな不埒な大名は取り潰してしまっただろうと思うのですが、イギリスではできてしまった。そんな歴史が、たとえば、「トレインスポッティング」の何とも言えない暗さの背景にあるのかな、と思ったりします。あれは連合王国でもさらに抑圧されたスコットランドが舞台ですが。
映画の話はさておき、そういう昔のことではなくて、終身雇用とか、1980年代に隆盛を極めた、いわゆる日本的経営とか、それが日本的であったのはそんなに長い期間ではなくて、割と足許の話だ、というのがこの本の立場です。
――「日本的」と言いますと?
終身雇用、それと表裏一体である新卒一斉採用、不活発な中途採用市場、という意味の「日本的」な制度ということでしたら、アメリカからの技術移転と、中等教育および高等教育の急激な拡大を活かすために、1970年代から1980年代にかけて必要とされ、実際に広まったもの、以上でも以下でもないと思います。大して長い歴史を持つものもないし、長く続くものでもないだろうと思っています。
――ところで、歴史の研究書といえば古い「史料」、本書はさらに最先端の経済用語や数式、図表なども満載ですね。これらの扱いには相当苦労されましたか?
活字になった「史料」を正確に読むのも大変なことで、さらに、筆書きの一次史料を読むとなると、物凄く大変です。共著者の森本(酒井)真世さんが分析した史料などは明治時代の鉱夫が筆で何とかかんとか書いたような文書ですから、読解難度は半端ではありません。一方、私が扱ったのは、実は「希望学」の一環で、2006年から、中村尚史さんの指示で釜石製鐵所に伺い、見せていただいた社内資料なのですが、これはこれで、字や数字は読めるのですが、情報量が膨大で、電子化するだけで6年かかってしまい、電子化が終わった時には『希望学』はとっくに刊行されていました。中村さん、玄田有史さん、宇野重規さん、お役に立てなくてすみません。
ともかく、そんな具合で、生の「史料」を読み、使える形にするまでには物凄く手間暇がかかるわけです。せっかく手間暇かけて仕込んだ史料なので、取り出せる情報はなるべく取り出したいと思うわけですね。計量経済学的な手法はそうした、情報を掘り出す手段のひとつです。また、経済学的な推論も、少ない情報を論理的、演繹的につなぐことによって、史料から「言える」射程を拡げる道具のひとつです。歴史家ですから、職人技の見せ所は飽くまでも史料の解釈、操作なのですが、せっかく手間暇かけて解釈し、つなげた史料なので、それをなるべく深掘りしたいという思いから、利用可能な道具はなるべく使っています。
中林真幸(なかばやしまさき)
東京大学社会科学研究所准教授
専門分野:日本経済史・経営史
主要業績
『企業の経済学』(石黒真吾氏との編著)有斐閣 近刊
『近代資本主義の組織―製糸業の発展における取引の統治と生産の構造―』東京大学出版会、2003年
『比較制度分析・入門』(石黒真吾氏との編著)有斐閣、2010年
――さて、日本経済の制度と組織の特徴を「より深く」「より長く」考えた本書は、特にこれからの世代へのメッセージが込められていると思いました。最後に読者へのメッセージをお願いします。
去年、大ヒットした銀行ドラマの主人公「半沢直樹」がちょうど、私と同じ世代なんですね。主人公は、それこそ、とっくに時代遅れになっている「日本的」経営にしがみつく残念な支店長や役員に逆らうわけですが、それを支えているのは、いつもは無表情なのに、実は真面目にものを考えている若手の部下たちなわけですね。実に良く「今」の雰囲気を捉えていると思いました。無表情なくせに実はものをよく考えている今の学生たちに、私も強い希望を持っています。歴史を学んだところで、目先、役に立つことは、ま、あまりないわけですが、将来、自分のいる残念な組織を変えたいとか、残念な国のあり方を変えたいとか、無表情なくせに実は考えている若い人には、ぜひ手にとってほしいと思います。物凄く長く続いているかのように当人たちが錯覚している「日本的」な何かは、実は日本的でもなんでもなくて、「1980年代的」な何か、以上でも以下でもない。肩パッド盛り盛りのジャケットと同じで、当時は大切だったけれども、それだけのことなのです。4世紀に渡る歴史の先っぽに今の自分を位置づけられれば、10年先、20年先の、ちょっとした未来への目線も定まってくるのではないかと思います。
(2014年2月24日掲載)