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新刊著者訪問 第5回

『地方からの産業革命—日本における企業勃興の原動力』
著者:中村尚史
名古屋大学出版会 2010年: 5600円(税別)

このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。

第5回となる今回は、日本経済史・経営史を専門分野とする中村尚史教授の『地方からの産業革命-日本における企業勃興の原動力』(名古屋大学出版会)をご紹介します。

地方からの産業革命
<目次>
序 章 地方からの産業革命
第1章 日本における産業革命の前提
― 経営資源と工業化イデオロギー
第2章 企業勃興の地域構造
― 分散と集中
第3章 地方工業化の始動と地方官
― 日本鉄道の東北延線と岩手県
第4章 地方企業家と企業勃興
―福岡県三池地方の事例
第5章 地方資産家の投資行動
―大阪府泉南郡廣海家の事例
第6章 「地方財閥」の誕生
―福岡県筑豊地方安川・松本家の事例
第7章 電力業の勃興と都市工業化
―東京市の事例
第8章 電力供給システムの形成と都市周辺地域 ―京浜地方の事例
終 章 地域経済の活性化と構造変化

――まず、この本の誕生した経緯を教えてください。

 本書に結実した研究の原点は、東大社研の全所的研究「20世紀システム」 (199 2-1998年)にあります。1994年4月、社研に助手として赴任した私は、末廣昭先生に誘われるままに開発主義班研究会に参加し、「後発国工業化と中央・地方―明治日本の経験」という論文を『20世紀システム4 開発主義』(東京大学出版会、1998年)に寄稿させていただきました。その後、この論文で打ち出した「地方の視点から日本の工業化を見直す」という論点を深めるべく、多くの事例研究を積み重ねてきたのですが、一次史料に基づいた歴史研究ですから、1つの事例を分析するのに膨大な時間がかかります。さらに事例研究を重ねる度に、新しい発見があるものですから、次第に産業革命の過程における地方の位置付けに迷い始めました。

 ちょうどその頃、私は玄田有史さん、宇野重規さんとともに、社研の全所的プロジェクト研究である「希望学」(2005-2009年)をはじめることになりました。そしてその一環として、2006年度には岩手県釜石市での総合地域調査を実施し、現代における地域社会・経済の実情をつぶさに観察する機会を得ました。以後、歴史と現状のはざまで、行きつ戻りつを繰り返しながら、地域経済活性化のメカニズムや地域経済構造変化の要因などを考え、『希望学2 希望の再生』『希望学3 希望をつなぐ』(いずれも東京大学出版会、2009年)の編集を行いました。そしてそこで得られた仮説が、本書『地方からの産業革命』をまとめる際の指針となったのです。構想から完成までに、結局、10年以上もかかってしまいましたが、「20世紀システム」で蒔かれた種が、「希望学」を経て結実したという意味で、この本の刊行は社研の全所的プロジェクト研究のおかげだと、心から感謝しています。

――それで今回の本のテーマが絞られたんですね。

 今回の本の目的は、日本の産業革命の展開過程における地域経済の位置と役割を、①地域経済活性化のメカニズム、②地域経済構造の変化という2つの視点から考えることにありました。

 私は「地方からの産業革命」を、局地的な地域(地方=local)の顔のみえる関係に依拠して近代産業が勃興し、産業革命が進展することと定義しています。市場経済が発展途上にあり、地域間の情報流通に限界があった明治期の日本では、顔のみえる関係をもとに構築された経済主体間の信頼関係が様々な取引コストを引き下げ、競争力の源泉になりました。またこのような時代においては、地縁・血縁による濃密な人間関係を有する地方(local)が、匿名性の高い都市(city)に対し比較優位を持ったと考えられます。その結果、産業革命の時代には、地方の企業家、資産家、政治家や地方官といった人々が、地方をベースとした企業を数多く設立し、地域経済活性化の原動力となりました。本書では、このような産業革命期における地域経済活性化のメカニズムを、岩手県、福岡県三池地域、筑豊地域、大阪府泉南地域といった様々な事例研究を通して明らかにしています。

――本書で指摘された地方社会における「顔の見える関係」とはどのようなものですか?

中村尚史先生

 明治期における地域活性化の三要素間の関係を要約すると、地方工業化イデオロギーを共有する、地域内部の諸経済主体が、地域内外の人的ネットワークを駆使して、「地方からの産業革命」を成し遂げた、ということになります。地方官、地方資産家、地方企業家、地方財閥といった経済主体は、それぞれ単独で地方工業化を達成できたわけではありません。工業化資金の供給を担う地方資産家、事業計画や経営実務を担う地方企業家は、互いの経営資源を持ち寄り、協力しながら事業を展開しました。また地方財閥のような中核的な経済主体を軸に多くの地方企業家と地方資産家がネットワークを組みながら企業設立に邁進するという現象もみられました。こうした共同事業が可能になった背景に、地域内部で形成された「顔のみえる関係」があります。当時の地域社会では、「顔のみえる関係」によって互いの信用情報などを把握し、逆選択やモラル・ハザードといった取引に要する費用を節減することができました。このような地域社会のもつ経済的機能は、市場が未発達であった産業革命期には、大きな武器となったのです。

――今後、このような「顔の見える関係」の役割は小さくなってしまうのでしょうか?

 市場経済が極端に発達した今でも、地方(local)に拠点を置き続けることで形成される「顔のみえる関係」は、地方企業がヒト、モノ、カネという経営資源を調達する上で重要な役割を果たしています。例えば鈴与(総合物流企業、本社・静岡市)社長の鈴木与平さんが、「地方にいる限り私たちは失敗しない、信用情報が得られるし、カネ、ヒト、モノも地方のネットワークを使って調達できるからだ」と話されるのを聞いて、明治期との共通性に身震いした記憶があります。現代の地方における企業経営を考える際にも、local(地方)の意味をもう一度問い直す必要があります。

 地方をベースに地域内外の情報網を駆使して、機動的に新しい事業機会を発見し、かつ冷徹に資本の論理を追求する企業家が「のろまな中央を出し抜く」可能性は十分にあります。ただしその際、冷徹に資本の論理を追求する企業家がなぜ地方に留まるのかを考えなければならないでしょう。何にもメリットがなければ彼らは地方にいません。留まる理由をヒト、モノ、カネといった資源の調達、情報の獲得、アイデンティティのあり方など様々な角度から研究していくことが必要です。本書における歴史研究をふまえて、その論理を解明することが、現代における地方の活性化につながると考えています。

――日本各地のこれだけ膨大な史料調査は大変ではありませんか?

中村尚史先生
中村尚史(なかむらなおふみ)

東京大学社会科学研究所教授

専門分野 : 日本経済史・経営史

主要業績
『日本鉄道業の形成:1869~1894年』1998年8月、日本経済評論社
『希望学2 希望の再生:釜石の歴史と産業が語るもの』(東大社研・玄田有史・中村尚史編)2009年5月、東京大学出版会
『産業革命と企業経営―1882~1914 (講座・日本経営史)』(阿部武司・中村尚史編著)2010年2月、ミネルヴァ書房.

 歴史家にとって史料調査は道楽です。仲間と、わいわい、がやがやと史料の整理や調査をやっている時が、研究活動の中で一番、楽しい瞬間かもしれません。その意味で、史料調査自体が大変だと思ったことは、これまでに一度もありません。それが地方の調査であれば、美味しいお酒や料理がついてくるので、なおさらです。むしろ大変なのは、集めた史料を分析し、そこから意味のある議論を見いだしていく過程でしょう。論文を書き始めると、必ずといってよいほど口内炎ができます・・・。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

 私はこの本を書くにあたって、歴史と現在のはざまで考えることにこだわりました。歴史は現在によって発見されます。一方、現在は歴史の積み重ねによってつくられます。歴史を歴史として、現在を現在としてのみとらえるのではなく、その間を行ったり来たりすることで、歴史も、現在も、より深く理解できると、私は考えています。ましてや今は、先が見えない時代ですから、長いタイムスパンで思考することが求められているのではないでしょうか。

(2011年8月1日掲載)

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