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新刊著者訪問 第19回
『新興アジア経済論―キャッチアップを超えて』
著者:末廣昭
岩波書店 2014年:2400円(税別)
このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。
第19回となる今回は、アジア社会経済論を専門分野とする末廣 昭教授の『新興アジア経済論―キャッチアップを超えて』(岩波書店 2014)をご紹介します。
――もともと、アジアにはそうとう関心を持たれていたそうですね。
高校生の時からアジア、とりわけ東南アジアに関心を持っていました。1960年代後半はAALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)で活発な動きがあり、ベトナムでは「熱い戦争」が本格化した時代です。その一方、日本については「停滞」のイメージがありました。そのため、1970年に大学に入ってからは、中国やベトナムをはじめ、アジアに関する本をもっぱら読んでいました。72年11月にタイで日本商品不買運動が起きてからは、留学生たちとの交流が始まり、73年10月の「10月14日政変」(学生革命)を契機にして、関心は東南アジア諸国からタイへと移っていきました。
――そうだったんですか。タイについてのご著書も多く出されていますが、本書は『キャッチアップ型工業化論―アジア経済の軌跡と展望』(名古屋大学出版会 2000年)の続編を意図されたとか。
2001年度アジア太平洋賞大賞
2000年に刊行した『キャッチアップ型工業化論』は、タイをはじめアジア諸国での20年間にわたる現地調査の結果をもとに、また戦後日本の発展パターンをひとつの導きの糸として、私独自の「アジア経済論」を意図して書き下ろしたものです。東アジア工業化の発展プロセスを、①イデオロギー(開発主義)、②工業化の担い手(国営・公企業、多国籍企業、ファミリービジネス)、③制度・組織(政府の政策、輸入技術の定着、労働市場、教育制度)の3つの側面に注目して整理し直し、「キャッチアップ」という一貫した観点から論じたものです。幸い刊行後、大きな反響を呼びましたが、同時に人口大国で社会主義国であった中国を分析から排除し、主要産業として繊維・衣類、家電、アグロインダストリーなどを取り上げていたため、その後、いろいろと批判も頂戴しました。その点を踏まえて、今度の本では「中国の躍進」を大きく取り上げ、同時に、IT産業を中心とする技術体系の新しいパラダイム変化(韓国・台湾・中国企業のキャッチアップの前倒し)などにも焦点を当てて、1990年代以降の新興アジア経済のダイナミックな変化を把握するように努めました。
――本書は在外研究先でのアジア経済論の講義がベースになっているとのことですが、アジアから離れた地域の学生さんたちの反応は如何でしたか?
2012年5月中旬から1カ月ほど、メキシコのエルコレヒオデメヒコ大学院大学で「アジア経済論」の集中講義を行い、同年9月から5カ月間はフランスのリヨンに滞在して、東アジア研究所などで「アジア経済論」の報告を行いました。まず痛感したのは、どちらの国においても「アジア」が聴講生にとって遠い存在であること、モノづくりを中心とする工業化への思い入れが東アジアの人々ほど強くないこと、この2点でした。また、聴講生の多くは、工業化のプロセスより、工業化が社会に与えたインパクトの方に強い関心を示しました。そこで、東アジア地域の人口構造の転換、急速な家族制度の変容、ストレス社会の到来といった社会的側面を、講義の中では意識して取り上げるようにしました。
――なるほど、経済発展より社会発展、社会的側面にもっと注目すべきなんですね。
前著『キャッチアップ型工業化論』でも、労働市場や教育制度の章で、生産現場や学校教育における管理と競争の強化について触れていました。しかし、社会発展にもっと目を向けるべきだと強く感じる転機になったのは、2000年代に入って、日本でも他の東アジア諸国でも「経済的不平等の拡大」(貧困問題ではない)が大きな問題として浮上してきたこと、韓国の自殺率が日本を抜き、OECD諸国の中でも異常に高い数値を示すようになったことの2点です。何かがおかしいと感じました。東アジアでは経済開発(国の開発)の時代のあと1980年代後半から消費社会の時代を迎えます。ところが、社会保障(生活保障)や労働協約などの制度の整備が、経済成長や消費社会に追いついていかない。つまり、経済発展と社会発展の間に大きなずれが生じるようになります。この点を新著では問題にしたいと考え、終章で「経済と社会のバランス」を取り上げたわけです。
東京大学アジア研究図書館寄付研究部門特任研究員で、末廣研究室の
タイ語資料の整理を行っている宇戸優美子さんとタイ語の資料を前に。
右上のナウシカの絵は末廣自筆です。
――本書を読むと今この瞬間も、アジア諸国がものすごいスピードで変化していると実感します。日本はどう関わっていくのでしょうか?
「生産するアジア」は生産ネットワークの進展やアジア域内貿易の深化を、「消費するアジア」は急速に進む都市化や都市富裕層の成長とそれに伴う新しいサービス産業の発展を指しています。日本は現在、この2つの側面に注目し、海外のサプライチェーンの強化、アジアのサービス産業への進出、さらには都市インフラ整備事業への参加を目指しています。しかし、こうした視点や関与だけでは不十分です。少子高齢化と家族制度の変容が急速に進む「老いてゆくアジア」、そして経済格差の拡大に代表される「疲弊するアジア」といった別の側面にも目を向けるべきでしょう。しかも、後者の2つは日本が直面している社会問題と重なっています。日本はかつてのように「工業先進国」としてアジア諸国をリードしていくのではなく、アジア諸国が共通して抱える社会問題やリスクに対して、その解決方法を積極的に提示していく「課題解決型先進国」の役割を担うべきだと考えます。
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
アジア、とりわけ新興アジアはダイナミックに、しかも急速に変化を続けています。こうした変化を的確に把握するためには、特定の国(私の場合にはタイ)をフィールドとしながらも、アジア地域や世界の動きを見ていく幅広い視点が必要です。同時に、政治、経済、社会を切り分けるのではなく、いま起きている変化をトータルに理解する姿勢が大切だと私は考えています。『タイ―中進国の模索』(岩波新書 2009年)や今回の本は、そうした思いを込めて書き下ろしました。
(2014年10月22日掲載)
末廣昭(すえひろあきら)
東京大学社会科学研究所教授
専門分野:アジア社会経済論