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社研卒業生の現在(いま)

石田 雄さん

今日は、社研卒業生の中で1番の大先輩でいらっしゃいます名誉教授の石田雄先生にお話を伺います。先生は6月で満96歳を迎えられます。

石田雄さん

2019年4月20日 自宅にて

プロフィール

石田 雄(いしだ たけし)

専門分野:政治学

社研在籍期間 1952年9月-1984年4月

翻訳官(1952年9月-1953年8月)
助教授(1953年10月-1967年5月)
教授(1967年6月-1984年4月)
所長(1978年4月-1980年3月)

戦中派の戦後責任をどう果たすか

 社会科学研究所を定年(当時60才)で退職してから35年になるので思い出すことも多いが、生きている限りは果たさなければならないと考えている戦中派としての戦後責任についてだけ述べる。まずその理由の説明から。

 関東大震災の年に生まれ、1930年代に左派文学青年から軍国青年になり、学徒出陣で軍隊生活をした者として、戦後はなぜこのような誤った途を歩んだかを追究するために研究者となった。あの戦争で命を失ったすべての人―軍人であれ非軍人であれ、敵であれ味方であれ―から生き残った者に託された責務だと感じたからである。
 ところが最近の政治情勢をみると、米軍と一体化した形で軍事化を進め、解釈改憲によって集団自衛権を認め、平和の名の下に戦争への途を歩んでいるようにみえる。現在の空気は1930年代に道徳教育から始め戦争肯定の国論を形成した過程を思い出させる。

 日本の政治を研究対象としながら、今日の事態を予測できなかった原因は何か。戦後民主化の成果を過信し、戦争の記憶と憲法に示された非戦の誓が継続することを期待したのがその一因。もう一つは戦前との連続性の過小評価。1969年から後に日本会議になる運動が始められ、地方から着実に影響力を強め、安倍内閣では閣僚の多数を占めるに至ることを予想していなかった。
 勿論今日の事態を生むには新しい要因も作用している。1990年代半ばに55年体制が崩れ、政治改革の名の下に小選挙区制が導入され、自民党内部の意見の多様性は失われ、執行部への権力の集中が進む。
 「失われた20年」の間に経済への規制が緩和され、グローバル化の影響もあり格差の増大が進む。それと同時に新自由主義による自己責任論で、格差への不満は排外主義へと誘導される。国会は一強多弱という政党配置のため立憲主義的な権力規制の機能を全うすることが出来ない。官僚組織も人事権を内閣におさえられたため自立性を弱め、メディアも強力な支配権力の前に批判機能が弱くなる。
 ところが他方で主権者たちの民意の表出は新しい形を取り始めている。特に3.11以後の市民の動きをみると、高円寺の「素人の乱」、「レイシストをしばき隊」から「保育所落ちた、日本死ね!!!」という匿名のブログから多くの抵抗運動が起こるなど「ネットで作られた集団的アイデンティティ」(野間易通)による運動もみられるようになった。

 そして何よりも注目に値するのは3.11以後毎週金曜の首相官邸前の集団行動や、2015年安保法制反対の国会前集会が10万ともいわれる自発的参加者を集め、しかもよく統制された非暴力主義的行動で衝突が避けられた点である。私は1960代前半在米当時SNCC(学生非暴力調整委員会)の若者たちがどれほどきびしい訓練を受けていたかをみており、その後60年代終わりから70年代はじめの間に日本でセクトの間で激しい実力行使があったことを知っているだけに、官邸前や国会前の集団行動が非暴力を貫いたことに強い感銘をうける。

 最後に最近の例として辺野古基地反対運動の事例をみよう。27才の元山仁士郎さんが①96年の県民投票と違って限定された目標に向けて、②既存の党派や労働組合などに頼らず若者と市民の自由な連帯を組織し、③慎重に(県民投票を請求する投票から始め)大胆に(県民投票に協力しない自治体が出た時にはハンストで生命をかけ)行動することで県民投票を成功させたことに注目したい。勿論沖縄には明治から戦後に及ぶ差別の歴史があり、沖縄戦の記憶はまだ強く残っているという特質がある。しかし1950年代には砂川闘争と沖縄の「島ぐるみ闘争」とが密接に連帯していた歴史もある。全国をあげてこの県民投票の成果を生かしたい。私も戦後責任を果たすためにできるだけのことをしたい。




平和の政治学

『平和の政治学』岩波書店、1968年


「この本は、何よりも、太平洋戦争に散っていった同世代の人々にささげられる。かれらが今日いわずにいられないであろうことを、生き残った一人として代って伝えることができれば。これが私の心からの願いである。」
(あとがきより)








日本の政治と言葉

『日本の政治と言葉(上)―「自由」と「福祉」』東京大学出版会、1989年
『日本の政治と言葉(下)―「平和」と「国家」』東京大学出版会、1989年


「「平和」に関する篇は、直接的には1968年の『平和の政治学』から続いてきた研究の成果である。(中略)敗戦後再出発した日本の歩みを、明治から1945年8月15日に至る過程のくりかえしにしないためには、「過去に対して眼を閉じる者は、現在に対しても目を閉じることになる」という金言(R.V.ヴァイツゼッカー)を心に銘記する必要があるだろう。」
(下巻あとがきより)







戦中派としての戦後責任についてお話いただきましたが、先生の平和への強い思いがストライクで伝わってきました。ネットやブログにも精通されていてさすがは社研の大先輩と感心してしまいました。今日はありがとうございました。これからもどうぞお元気でお過ごしください。


(2019年5月30日掲載)

最近、嬉しかったことは何ですか?

 最近嬉しかったことは、本文にも書いた沖縄の県民投票が成果をあげたことです。元山さんがこの活動を始めるとき大学院を一年休学することを決め、自分の一年より沖縄の50年の方が大切と言ったことやハンストに感動しました。しかしあの県民投票は、今度はヤマトンチュに責任を果すことを求めるものであることを思えば、嬉しさより厳しさの方を強く感じるのですが。


    辺野古と大浦湾一帯。沿岸にサンゴ礁が広がる(写真/村山嘉昭)


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