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社研卒業生の現在(いま)

山崎 広明 さん

社研には22年半在籍され、その間所長も務められた山崎広明先生に、印象に残っていることなど、当時のお話を伺いました。

山崎広明さん

写真:開所記念パーティーにて(2013年2月7日)

プロフィール

山崎 広明(やまざき ひろあき)

専門分野:日本産業史・経営史

社研在職期間:1971年10月~1994年3月

助教授(1971.10-1975.03)
教授(1975.04-1994.03)
所長(1992.04-1994.03)

 私は、社研に22年半在籍していた。その間の思い出はたくさんあるが、その中で今でも強烈に記憶に残っているのは、1990年4月1日のことである。この日は、新所長利谷信義さんの仕事初めの日で、私は所長を補佐する協議員として所長室にいたが、そこへ法学部長の石井紫郎さんが、何人かのお供を連れてあいさつに来られ、儀礼的あいさつの後、我々にとってはショッキングな法学部の新構想を紹介して、それへの社研の協力を求められたのである。東大では、4月の末頃までに各部局の次年度予算の概算要求を本部に提出することが慣例となっていたのだが、法学部は、そこに「大学院重点化」という考え方を盛り込んだ案を提出するというのである。

 このことの意味を理解するためには、戦後のこの国の大学行政における大学院の位置づけを振り返っておくことが必要である。新制大学院が発足して以降、東大の社会科学系では、法学部、経済学部、教養学部、社会科学研究所の教官が協力して、「イコール・フッティング」の原則に従って管理・運営を行っていた。但し、大学院について独自の予算措置は講じられなかったため、予算面では法学部と経済学部が学部に配分される講座研究費をやりくりして必要な費用を賄っていた。ところが、大学院生が増えるに伴ってこの費用が急増し、特に院生の数が多い理学部や工学部では、研究費の不足や設備の老朽化が深刻化していた。そこで東大では、この窮状から脱するために「大学院大学化」が図られたりしたが、学部教育との関係が大学全体としてうまく整理できていないことや必要な予算があまりに大きくなるために、この方向での改革は頓挫していた。

 この改革の行き詰まりを打破すべく打ち出されたのが、法学部による「大学院重点化」構想であった。私の記憶によると、石井学部長の説明はおよそ以下の通りであった。これまでは、予算積算の単位である講座は学部に置かれていたが、法令によると「大学に講座を置く」と定められているに過ぎない。そこで、講座を大学院に置き、学部の教官が大学院とともに担当している学部の講義について別の予算措置を講ずれば(例えば、旧帝大以外の大学にみられる学科目制のような)、研究費が(1+α)倍(例えば1.3倍)に増加する。そして、これは大学の管理運営の単位がこれまでの学部から大学院に代わることを意味しているが、法学部としては、実際の大学院の管理運営については、学部と研究所との対等の原則を維持するので法学部の概算要求について研究所の理解と協力をお願いしたいというのである。

 この説明を受けて、当時の社研執行部は、法学部に対してできる限り「イコール・フッティング」の原則を守ることと、今後文部省等との交渉の経過を知らせてもらうことを要請する一方で、研究所の将来構想を考えるワーキンググループを立ち上げて、そこで将来構想作りを急ぎつつ、当面の事態への対応策も考えることとした。そして、私がこのグループの座長となり、最終的に大学院に「国際日本社会」という独立専攻課程を作るとともに、「日本社会研究情報センター」を研究所内に設けるという構想をまとめた。ここでわれわれが目指したのは、折からの日本企業の好パフォーマンスを背景に、世界的に日本の社会や経済に関する研究(社会科学分野の日本学)が盛んになっている状況を受け、過去の研究や資料の蓄積を踏まえて、社会科学研究所を国際的日本学の研究拠点とするということであり、全学の場での社研のこれについての粘り強い主張に心ある人々は耳を傾けてくれ、結局、前者の大学院独立専攻設置構想は実現できなかったものの、センター構想の方は、数年のちに日本社会研究情報センター(現在の附属社会調査・データアーカイブ研究センター)として実現された。そして、前者についても、ここでキーワードとした「国際日本」は、その後明治大学や法政大学という私立有力大学がこの名前を使った学部や研究所を新設するというかたちで、その有効性が証明されたのである。

 今思えば、1990年4月1日は、社会科学研究所が新たなスタートを切る画期となる日だったのではなかろうか。

 定年退職後、埼玉大学経済学部(3年半)を経て東海学園大学経営学部教授、学部長(4年)、大学院経営学研究科長(7年)を歴任、この間学校法人の理事も7年つとめ、最後は特任教授で、2012年3月退職した。初就職の神奈川大学(専任講師)から通算すると、49年の大学教員生活だった。このうち22年半、社研にお世話になった。

現在の東大及び社研のターニングポイントについて、大変貴重なお話をありがとうございました。ますますお元気で、またいろいろ聞かせてください。

(2013年3月14日掲載)

最近、嬉しかったことは何ですか?
私達には孫が1人もいなかったが、昨年5月、次女が40歳代半ば過ぎの高齢出産で女の子を生んだので、初孫を持つことになった。人並みに孫の成長を楽しんでいる今日この頃である。
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