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社研卒業生の現在(いま)

橘川 武郎 さん

現在、一橋大学大学院商学研究科でご活躍されている橘川武郎さんに、社研在籍当時や、最近のご様子についてお話を伺いました。

橘川武郎さん
プロフィール

橘川 武郎(きっかわ たけお)

一橋大学大学院商学研究科(教授)

社研在職期間:1993年10月-2007年3月

助教授(1993.10-1996年.03)
教授(1996.04-2007.03)

 1993年10月から2007年3月までの13年間半、社研でお世話になりました。「失われた10年」に関する全所的研究プロジェクトの責任者をつとめさせていただき、卒業直前にスタートした「希望学」プロジェクトにも名を連ねさせていただきました。

 「希望学」のつながりは今も生きており、釜石では復興まちづくりアドバイザー会議委員とスマートコミュニティ推進協議会委員長、福井ではLNG(液化天然ガス)インフラ整備研究会委員を、それぞれ仰せつかっています。釜石復興のキーパーソン3人のおともをして訪米し、東日本大震災後に被災地へ巨額の寄付を寄せられたニューヨークの在留邦人の方々に復興状況を報告したり、ハリケーン・カトリーナからの再生に取り組むニューオリンズの市民の皆さんと交流したりしてきました(写真)。また、福井県の西川一誠知事とは、国の新しいエネルギー基本計画を策定する総合資源エネルギー調査会基本政策分科会で、委員としてご一緒し、議論を交しています。

 3.11後、原発問題や震災復興をめぐって社会的に発言する機会が増えましたが、その際、「希望学」プロジェクトを通じて福井・嶺南や釜石の方々と直接お話させていただいた経験が、自分の視座を作り上げる基盤となりました。「最前線で真正面から問題に対峙している者は真の解決策を見出すことができる」、「一番悩んでいる者が一番真剣に考えている者であり、一番真剣に考えている者は多くの場合、一番早く希望を見出す」。これらは、福井・嶺南や釜石で私が学んだことです。その視座に立って、「東京目線」ではなく「福井・嶺南目線」「釜石目線」に立つことを心がけながら、原発問題や震災復興問題について発言しています。具体的には、「共生すれども依存しない」姿勢に立った「原発からの出口戦略」の構築、コミュニティの活力発揮による「革新に裏打ちされた復興」などを強調しているのが、それです。

 私が社研を離れたのは、より大きな「教育の場」を求めたからです。現在は、各年度1〜3人のPh.D.キャンディデートの主指導教官をつとめつつ、MBAコースを中心に毎年12〜13人分の修士論文作成の面倒をみています。忙しいですが、充実した日々が続きます。社研時代もそうであったように、これからも、何事にも一生懸命に取り組んでゆきたいと思います。

全所的プロジェクト「失われた10年」では大変お世話になりました。その後「希望学」、「福井調査」と一橋に移られてからも社研との関係は密接ですね。また、いくつもの重責を担われてご活躍のご様子、大変なお役目と思います。これからもお元気でますますのご活躍をお祈りしています。

(2014年3月17日掲載)

最近、嬉しかったことは何ですか?

2014年1月、19年間非常勤講師としてゼミナールを担当していた学習院大学での最後の授業のあと、ゼミナールのOGやOBが100人近く集まり、サプライズで謝恩パーティを開いてくれたこと。久々に朝までつきあい、最終学年のゼミメンバーとは、シンガポールへ卒業旅行に出かけました。

写真:学習院のゼミ生と

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